2006年07月

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エミリー

エミリーエミリー

嶽本野ばら

集英社
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嶽本野ばらさんは、映画「下妻物語」の原作者としてその存在を知ったのですが、この作品は久々にみつけたヒット。

「読もうかな」と思う小説が新潮社文庫、講談社文庫などの大手出版社のものに制限されていたことを痛感。それは結果的に「芥川賞」や「直木賞」「江戸川乱歩賞」などの大きな賞の受賞作家しか読もうとしていなかったのだと反省。

映画ならば、有能なプロデューサーがついて作品を制作できれば、少なくとも映画館での上映は過去の偉大な作品群と同じように可能だ。

受賞云々はコンペティションや興行収入などによって決まるが賞を受賞できなくてもとりあえずロードショーは可能だ。「・・・映画際正式出品作品」という肩書きでも上映はできる。

小説は文学賞と大手出版社が権力をもっていいるので、彼らがよいと認めなければ世に出回る可能性は低い。

そんな次元にかまけていた自分が恥ずかしくなってしまうくらいタカモトノバラ氏の「エミリー」は久々にプロットも自分好みな作家で、めずらしくドキドキしながら読んでしまった。読者としてだけでも出会えて良かった。

小説やエッセイも小学館や集英社から文庫におちていました。ふだんあまりチェックしていない棚だったのですっかり盲点を突かれた感じ。

空中庭園

空中庭園 通常版空中庭園 通常版
2005年/日本/114分
監督・脚本:豊田利晃
原作:角田光代
撮影:藤澤順一
音楽:ZAK
出演:小泉今日子、鈴木杏、板尾創路、ソニン、國村隼、大楠道代、他
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以前、テアトル新宿で千原浩史さん主演の「ポルノスター」を観て好きになった豊田利晃監督の2005年公開作品。

豊田監督自身にはゴシップ等はありますが作品を観ると、松田龍平主演の「青い春」、ソウルフラワー・ユニオンが音楽を担当した「アンチェイン」「ナイン・ソウルズ」どれも低予算かもしれないが「安っぽさ」を感じさせない「確かな映画」を撮れる数少ない監督の一人だと思う。

この「空中庭園」もそんな良質の豊田映画だが、今回はイメージシーンに頼りすぎている感があった。

語られることのない大楠道代さんや小泉今日子さんの秘密。イメージカットがすんなりハマればそれにまさるものはないのですが、個人的にはそこらへんをハッキリさせたうえてどうなるのか観たかった。

揺れる、回転するカメラワークや雨のシーンなどの画がシャープで印象的。シーンのつなぎのカットなどもセンスを感じてしまう程心地よい。

「見せ場」がしっかりしているのはもちろん、そのつなぎとなる伏線の部分でも「魅せる映像」が多く「映画的な仕上がり」が観れて満足度は高い。

小泉今日子さんのパート先の若い女の子以外は役者陣の演技も観ていて安心できる。小泉今日子さんは相米慎二監督の遺作となった「風花」以来でしたが、大楠道代さんとのやりとりなど見応えのある演技でした。

あと作中やDVDのメニュー画面などで使われている主題曲? のα波の出そうな音楽はすこぶる自分好み。

次回作も期待してしまいます。


「空中庭園」公式サイト
http://kuutyuu.com/

アマデウス

アマデウス ディレクターズカット スペシャル・エディションアマデウス ディレクターズカット スペシャル・エディション
AMADEUS DIRECTER'S CUT
2002年/アメリカ/180分
監督:ミロス・フォアマン
原作・脚本:ピーター・シェーファー
出演:F・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、ロイ・ドートリス、サイモン・キャロウ、他
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「勝手にミロス・フォアマン映画際 第2弾」として「アマデウス」をたぶん10数年ぶりに鑑賞。

といっても、今回ディレクターズカット版は初めて観たのですが、プロデューサー版? と比べて40数分間分のシーンが追加されている。

スティーブン・ソダーバーグ監督の「ソラリス」が劇場版が100分程に対して、現在お蔵入りになっているディレクターズカット版は200分程あるらしい。劇場版では、ソラリス自体に関わるシーンをおそらくすべてカットしてあるので「作品として別物」になっていると思われる。

「アマデウス」はそれほど衝撃的にではないけれども、サリエリの人間性の描写などでの40分は作品に大きな影響を及ぼしていると思う。

あと劇中の使用言語ですが、設定として英語を話せる人は一人もいなかったはずだが、みごとに全員英語を話していたし、オペラ部分も英語の歌詞になっているところさえあったのは、以前はあまり気にならなかったけれど今回は「ん?」と思ってしまった。

でも篠田正浩監督の「スパイゾルゲ」のような嫌な感じはなかった。それはおそらく、チェコ人のミロス・フォアマン監督にたいする敬意のようなものなのかもしれない。

金銭や能力の無さから英語でやるのではなく、政治的な理由で英語を習得することとなったフォアマン監督は、自分がそうであったように、母語でない言語を獲得しようとしているような気がする。

ちょうど、前述のアゴタ・クリストフが母語でないフランス語で作品を書いていたように。(「風の痛み」は何故かおそらくイタリア語だが。)

鑑賞中、何度となく「あぁ~サリエリ」と思うこと数限りなし。

以前観たときより仕事や金銭のことが気になったように思うのは、その部分に関してシビアになったということだろうか。

カッコーの巣の上で

カッコーの巣の上でカッコーの巣の上で
One Flew Over The Cuckoo's Nest
1975年/アメリカ/129分
監督:ミロス・フォアマン
原作:ケン・キージー
脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン
撮影:ハスケル・ウェクスラー
出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、マイケル・ベリーマン、ブラッド・ドゥーリフ、他
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「勝手にミロス・フォアマン映画祭」第1弾として、「カッコーの巣の上で」を鑑賞。

ミロス・フォアマン監督は両親をゲシュタポによって亡くしたチェコスロバキア人ですが、自国の政治不安を理由に、結果的には1960年代後半にアメリカに亡命している。

チェコ時代には「火事だよ! カワイ子ちゃん」(日本未公開)「ブロンドの恋」などの「チェコヌーベルバーグ」と呼ばれる作品を監督しているが、世界にその名を知らしめたのはこの作品「カッコーの巣の上で」で当時のアカデミー賞を総なめにした頃からだろう。

チェコ時代は自主制作のような形で映画を製作していたが、アメリカに渡ってからは「アマデウス」など、比較的重いテーマの大きなバジェットの作品の監督を務めている。

以前観たはずの「カッコーの巣の上で」ですが、あまりの名作っぷりに、かなり以前に観たか、映画の本などで読んでいただけか判別できないまま鑑賞。

こういう映画のスタイルは昨今は流行らないと思いますが、良質の映画であることは間違いない。こういう物言いもどうかとは思いますが、この映画を観て何も感じるところがないような人と、僕は何も話をする必要はないだろうなとも思う1本。

監督のミロス・フォアマン曰くにジャック・ニコルソンは地を活かして演技していた、というか、ジャック・ニコルソン本人がそこにいた程ハマリ役だったようで、その後の彼の作品をみても凄いけれど「たんに変な人」感があるのは否めないかもしれない。眠りっぱなし・・・。

製作に関わったマイケル・ダグラスなど、この作品を経験した人々の多くがその後大活躍していることからもわかるように、監督、製作、脚本、出演者、その他もろもろの状況等がうまくまとまった、ある意味奇跡的な映画。

ピアニスト

ピアニストピアニスト
La Pianiste
2001年/フランス・オーストリア/132分/R-15
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
原作:エルフリーデ・イェリネク、撮影:クリスティアン・ベアガー
出演:イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、アニー・ジラルド、アンナ・シガレヴィッチ、スザンヌ・ロタール、他
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久々に観た難解な映画。好きか嫌いか問われれば、好きな映画。

映画自体は「恋愛映画」の体裁をとっているが、それだけにとどまらない格式の高さと緊張感を併せ持っているように感じさせる。それは、レオス・カラックス監督作品群のように「迸る情熱」といった感じではなく「大人の、闇の部分」を感じさせる映画。

原作者のエルフリーデ・イェリネク氏はノーベル文学賞やカンヌでの審査員特別グランプリなど芸術賞を総なめにしているが、自国、オーストリアでは批評家には受けがいいが、一般には受け入れられていない作家のよう。

ミヒャエル・ハネケ監督作品は、最近、2005年にカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「隠された記憶」が公開されていたようだが「ファニーゲーム」の底知れぬブラック感が印象的な監督。

軽はずみで文句をつけにくい映画を撮っている。論理的、というか、一定の不可解感をかんじさせながらも、一貫した映像を積み上げている稀な監督。

当然個人差はあるが、自分にとっては「原作を読んでみたくなった」という意味で映画として成功していると思う。

でも、この作品原作はドイツ語のはずだし、監督もオーストリア人のはずなのに、何故イザベル・ユペール主演のフランス語映画になっているのだろう。

と調べてみるとヴェルナー・シュローター監督の「マリーナ」(1990年)という作品では、エルフリーデ・イェリネク氏は脚本で参加し、イザベル・ユペールが主演していた。イェリネク&ユペールコンビはここで誕生したのかもしれない。ちなみに「マリーナ」は「ママと娼婦」などのジャン・ユスターシュ監督に捧げられている。


■参考
「ノーベル文学賞イェリネク 挑発に満ちた難解さ 寺尾 格」
神奈川新聞(共同通信) 2004年10月15日

蛇にピアス

蛇にピアス蛇にピアス
金原ひとみ


集英社
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金原ひとみさんの小説は「アッシュベイビー」がお初でしたが、個人的にはこの「蛇にピアス」の方が好みでした。

いままでは多和田葉子さんの「犬婿入り」など、賞を受賞した作品は他の受賞していない著作と比べて全く面白くないことが多かったので驚きでした。自ずとハードルを下げていただけかもしれませんが。

読んだ後、作品の毒っ気がじんわりと沁み込む、気持ちいい作品。

下妻物語

下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉
2004年/日本/102分
監督・脚本:中島哲也
原作:嶽本野ばら
撮影:阿藤正一
音楽:菅野よう子
出演:深田恭子、土屋アンナ、宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ、他
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正直、映画「嫌われ松子の一生」はイマイチでしたが、中島哲也監督の事実上の出世作「下妻物語」を期待を込めつつ、ようやく鑑賞。

結果的にはとても楽しめました。セクシャルな表現がまたしても省かれていたことには落胆しましたが、特に深田恭子さんの演技がすばらしかった。彼女の使い方は北野武監督の「dolls」の上を行くものでした。「嫌われ松子の一生」の中谷美紀さんにもこれくらいは頑張ってほしかった。アイドルじゃなくて女優で売っているんだし。

この映画の物語自体はすこぶる「保守的」ですが、ローカル的なのりを笑い飛ばすのは時流に乗っていると思うし、好感を感じる。「御意見無_様_」なんて笑えます。

あと、これも原作の設定かもしれませんが、一匹狼、というか、群れない個人、にスポットがあたっているところにも良かったです。こういうヒット作からはある基盤のようなものを暗黙に強要されているように感じがちなのですが、今回はそれがなかった。

個人的には楽しんでしまいましたが、ふと考えるとこの作品、とっても「女の子」向きな気がする。


「下妻物語」公式サイト
撮影日誌、スタッフエッセイ、などが参照できる。
http://www.shimotsuma-movie.jp/

嫌われ松子の一生

嫌われ松子の一生 通常版嫌われ松子の一生 通常版
2006年/日本/130分 監督・脚本:中島哲也
原作:山田宗樹、撮影:阿藤正一
出演:中谷美紀、瑛太、伊勢谷友介、香川照之、市川実日子、黒沢あすか、柄本明、木村カエラ、蒼井そら、柴咲コウ、片平なぎさ、本田博太郎、奥ノ矢佳奈、ゴリ(ガレッジセール)、榊英雄、マギー、竹山隆範(カンニング)、谷原章介、甲本雅裕、キムラ緑子、角野卓造、阿井莉沙、宮藤官九郎、谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)、劇団ひとり、大久保佳代子(オアシス)、BONNIE PINK、濱田マリ、武田真治、木野花、荒川良々、渡辺哲、山本浩司、土屋アンナ、AI、山田花子、あき竹城、嶋田久作、木下ほうか、他
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久々に観る、豪華キャストの邦画でした。チラシにもあるように「これでもか」くらい話題の役者にとどまらない芸(能)人が出演していたのには少し驚き。

あと画面。細部にまでこだわった映像は良くも悪くもカット数が多く、現場の方々の苦労がひしひしと感じられます。

今回は、原作の小説は先に読んでいて、中島哲也監督がどんな風に映画化するのかを注目したのですが、彼は原作から痛々しいリアリティーを抜いて、ミュージカルの要素とユーモアをプラスしていた。

中島監督作品はたしか90年代の前半に、まだできたばかりの渋谷シネ・アミューズで「ビューティフル・サンデー」を観て、そのブラックユーモアと自主映画的な作風にCM界の巨匠らしくないセンスを感じてファンになったのですが、「嫌われ松子の一生」でもその片鱗は、ちょっとしたブラックな会話にやりとりや回想シーンでの8ミリ映像に現れているといえばそうだが、個人的には「人を描く」のを前提として映画を作って欲しかった。

結果として原作以上にエンタテイメント性の高い作品に仕上がっているが、映画にそれを求めていない自分としては「そんなサービスはいらない」といった感じ。ミュージカルものも嫌いだし。CGの星の数だけ、ディズニーランドなどが好きな若い女の子を映画観に呼ぶことができれば映画界に対する貢献は大きいと思う。

監督本人はどう思っているか分からないけれど、プロットに展開力のある本なら、「嫌われ松子・・・」じゃなくても同じようなテイストの作品ができあがっていたと感じてしまうところにこの映画の魅力の浅さがある。

あと、原作を読んだ人の多くが感じていると思うが、後半1/3が長くそれまでの勢いを殺している。編集権のある人はあの編集に疑問を抱かなかったのか不思議。

主演の中谷美紀さんは、周りの柴咲コウさんや濱田マリさんなどとの造形的な兼ね合い上でも中谷さんがベストなのかもしれませんが、別に主演を柴咲コウさんがやっても良かったように思う。ヌード込みの体当たりの演技が観れれば映画好きの人も文句は言いにくくなったと思う。作品の浅さは中谷さんと中島監督のコラボレーションの産物だと思う。

でも、テレビ番組から映画になった作品や、数年前の「世界の中心で愛を叫ぶ」に比べれば好感の持てる作品だと思う。この映画が大好きな人ゴメンナサイ。

オフィシャルサイトでは「自分の名前を入れて楽しめる『嫌われ松子の一生』オリジナル壁紙」を作ることができる。


■「嫌われ松子の一生」オフィシャルサイト

http://kiraware.goo.ne.jp/

ジョルジュ・バタイユ ママン

ジョルジュ・バタイユ ママンジョルジュ・バタイユ ママン Ma Mère
2004年/フランス/110分/R-18
監督・脚本:クリストフ・オノレ
原作:ジョルジュ・バタイユ
撮影:エレーヌ・ルバール
出演:イザベル・ユペール、ルイ・ガレル、エマ・ドゥ・コーヌ、他
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ふと「ジョルジュ・バタイユ・・・」というタイトルを見つけて即劇場へ脚を運ぶ。

新宿高島屋のテアトル・タイムズスクエアで平日21時過ぎからのレイトショーで鑑賞。2週間のみのロードショーからか、平日、この原作に関わらず1/3位のお客の入りだった。

もっと女性が多いかと思ったが意外と、というか当然、男の年配者が多かった。若い女性は思ったより少なかったが、一人で観にきている人はやはり多かった。

この作品が18禁でないような作品ならば、渋谷ル・シネマなどでパトリス・ルコント作品のような扱いで上映できたかもしれないが、六本木シネ・ヴィヴァン亡き今はここでの上映になったということか。

映画を観るとジャン=リュック・ゴダールの「パッション」ベルトラン・ブリエの「バルスーズ」などでうら若き姿で動き回っていた、最近ではフランソワ・オゾンの「8人の女たち」などのイザベル・ユペールが、ある意味空前の灯火の女性になっていた。細い身体で白いシャツにデニムのブーツカットといういでたちは、特にロングショットでは実際の年齢を感じさせない。

相手役の青いツバメではなく、息子役には「ギターはもう聞こえない」「ニコ・イコン」「白と黒の恋人たち」「自由、夜」」などのフィリップ・ガレル監督に姿かたちがそっくりのルイ・ガレル。映画を観るまで知らなかった。ニコとの子供かどうかはわかりませんが、原作はジョルジュ・バタイユ、主演はゴダールの「中国女」などのイザベル・ユペール、その相手役はフィリップ・ガレルの息子、ルイ・ガレル、となるとおのずと作品のテイストは決まってくる。

自分もジョルジュ・バタイユに映画を一本捧げている者として観ないわけにはいかない。

映画の内容は観てのお楽しみですが、砂丘や労働の匂のしない画が印象的。

最初の街の真上からの俯瞰のショットはゴダールの何かの作品で観たショットに近い。ラストショットはジャン・ユスターシュの「ママと娼婦」を思い出させるふしがあり、賛否両論か。

音楽はミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」を思い出させる使い方で、とくにタートルズの「ハッピー・トゥギャザー」は否応なく印象的でしたが、もう2006年なのに1960年代の雰囲気がするのは原作や音楽だけが理由ではない。「今」バタイユ小説を映画化する意味とは。

■「ジョルジュ・バタイユ ママン」公式サイト
http://www.at-e.co.jp/maman/


PS
21時頃、テアトルタイムズスクエア横にあるサザンテラスの喫煙所でタバコを吸っていたら、両隣りのベンチでは目の前に広がる夜景を前にカップルがイチャイチャしていて、ガラス越しに見えてしまったのですが、一方のカップル(サラリーマン風)の男は彼女の乳をもんでいた。「なんだかな~」と思いつつ、映画鑑賞後、新宿駅に向かってあるいていると、線路沿いに並べてあるベンチにはそれぞれまたしてもカップルの姿が。

そこは普通に人通りはあるのですが、その中の2組程はベンチの上で男女が向かい合ったまま、股を広げて抱き合っているではありませんか。しかも、そのうちの一組の女性はタイトスカートを捲し上げてフニャフニャしていたのです。

これって公共の場での「ペッティング」?→いつからこんなモラルの世の中になったんだろう→自分はとりのこされている? 人影に隠れてナニかしているんだったらわからんのでもないのですが・・・。

こんな出来事も「映画館に脚を運ぶ」というイベントに含まれた価値なのかなぁ、と思う今日この頃。3~4回もルイ・ガレルの射精シーンを観たばかりだから、そういったことに敏感になっていたわけではないはず。

快楽であたしたちはできている

快楽であたしたちはできている―おんなの子のエロとラブ快楽であたしたちはできている
―おんなの子のエロとラブ


安彦麻理絵・著

光文社
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最近になって、映画「亀虫」でその姿を初めてみることとなった、女流漫画家・安彦麻理絵さんのエッセイ集。

内容はマンガのそれと同様ですが、読んでいると「一緒にお酒を飲んでいる」ような気がしてきます。「エッセイ」って縁がなかったのですが、ジャンル的にそういうものなのかもしれませんが、安彦さんの「ぶっちゃけ具合」がそう感じさせる気がします。

文庫版になる前の単行本が書かれたのはたぶん90年代で、今読むとネタの固有名詞が少し古い感がありますが、安彦漫画が好きな人は楽しめる一冊。

学生時代や「メイド・イン・山形」「メロドラマチック」「臍下の快楽」など比較的初期の作品の頃の安彦さんの生活っぷりなどもうかがい知れて面白い。

自分の感性や考えを、既成の枠組みにとらわれず表現しようとする姿勢に共感を覚えてしまいます。そして哀しい。

語っていることは表層的というか笑える感じですが、どこかストイック感が漂っていて魅力的な作家です。

昨日

昨日昨日
Hier
アゴタ・クリストフ
Agota Kristof
堀茂樹・訳

早川書房
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「昨日」は「悪童日記」「ふたりの証拠」「第3の嘘」と続いた3部作とは独立した作品。フィクションですが、移民の登場人物が多いことや工場労働での描写などで、作者本人の自伝的要素もあるとされる作品。

2001年にはイタリア・スイスの製作でシルヴィオ・ソルディーニ監督により「風の痛み」という題で映画化されている。小説よりもラブストーリー的な要素に焦点があたっていそう。

この映画、パッとしない邦題ですが、映画版原題の直訳。身の回りのツタヤには置いていないので買うしかないのかな。

小説は、以前の3部作と比べると、ストーリー展開は明確で、かつ、文体等の体裁も所謂小説になっていて読みやすい。普通に考えて、映画化には一番向いているように思う。

親しい人に対しても「言わない」と決めたことは口にしない、という美徳を思い出させてくれた作品です。近々DVDをゲットしたいものです。


■「風の痛み」公式サイト
http://home.m02.itscom.net/rakusha/kaz/

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