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おすすめ平均
starsこれがテレビで放送していた事が信じられない
stars新しい趣向ではあるが・・・

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シッコ

Sicko (Ws Amar)Sicko (Ws Amar)
SICKO
2007年/アメリカ/123分
監督・製作・脚本・出演:マイケル・ムーア
製作:メガン・オハラ
撮影:クリストフ・ヴィット
音楽:エリン・オハラ
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「ボウリング・フォー・コロンナイン」「華氏911」などのマイケル・ムーア監督の最新映画。前作などは軽はずみな演出が鼻についたが、今回はイライラすることなく楽しく鑑賞。

印象的だったのは「ディフィカルト(difficult)」という言葉。
世界中では様々な制度をもった国があるが、それぞれは他の国の事情をしっかりと理解することは難しい。それぞれの国で言語の前提となるような文化・風土・価値感等は異なるので、仮に結果を「人間的な暮らし」と考えると、終着点はもちろん異なるし、そこまでの過程も異なるのである。文明人が未開人に文明について説明するのはまったくもって「ディフィカルト(difficult)」である。

だいたい「自由の名のもとに団結して戦争を始める国」に国民の平和がたもたれるはずはない。

この「シッコ」はフィクションというよりはドキュメンタリーだが、ドキュメンタリー的なのは「登場する人々が役者でないのと演技をしていない」点。言ってしまえばドラマ仕立てですらあるくらいだ。作品としては「ディズニーランド」と同様に「マイケル・ムーアショー」。

しっかりとした「健康」「自信」「教育」を持ち合わせない国民が多い日本で、この映画がどれくらい影響を及ぼせるだろうか。

「シッコ」公式サイト【日本語】
http://sicko.gyao.jp/
「シッコ」公式サイト【英語】
http://www.sicko-themovie.com/

セックスボランティア

セックスボランティアセックスボランティア
河合 香織

新潮社

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この「セックスボランティア」を既に読んだ方はご存知とは思いますが、キャッチの聞いた書名とはうらはら、貴重な情報がまとめられた真面目なルポタージュでした。

自分の周りにも「障害」という枠に属した人がいますが、読んでいていろいろ考えさせられる、身につまされる情報が多かった。

このテーマは福祉の問題とも大きく関わってくると思うが「自分の権利を主張する=自分は損したくない」ような人が多い中、努力しても、今の現状が打開されるには何百年もかかりそうな気がしてきました。

日本では、「頑張ること」が美徳とされている→みんないっぱいいっぱいになりがち→自分のことで精一杯、というような流れで、人間を思考する、社会を思考する、文化を思考する、習慣もなければその価値も低いように、なんてことを考えてしまったり。

とはいえ、いろいろと鼓舞されるところは多かったので、今後自分の生活の中から実践したいものです。

夜と霧

夜と霧夜と霧
Nuit et Brouillard
1955年/フランス/32分
監督:アラン・レネ
原作・脚本:ジャン・ケイヨール
撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニー
音楽:ハンス・アイスラー
助監督:クリス・マイケル、他
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久々に観る凄い映像だった。

フランスでの公開は1955年だったようですが、日本ではたしか15年くらい経ってからだったはず。

マイケル・ウィンターボトム監督の「ウェルカム・トゥ・サラエボ」などもそうですが、こんなに生々しい映像は誰がどうやって集めたのか。その集めた映像をどうやって手に入れたのかが、まず気になる。

それと、ナチのユダヤ人虐殺は有名、というか、日本でも広く知られることだが、日本人の中国人の虐殺はどれくらいの人がその意識、認識をもっているのだろう。日本の国、自体がいつものように国内外に対して責任を取らない態度でいるために、そこに住む日本人も無知なまま、みっともない人生を送っている人も多いはずだ。

大量に虐殺しているはずなので、映像のソースも必ずどこかにあるはずだが、不思議と映画化されていないような気がする。無駄に情報があふれる中、未だに少なくともこの「夜と霧」のように観ようと思って手に取れる状態にはなっていない。

こんなことでは広島と長崎に原爆を投下したことを未だに知らないアメリカ人を馬鹿に出来ないどころか、悪い意味で全く同等だ。

作品的には「去年マリエンバートで」「24時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」などで知られるフランスのアラン・レネの監督作品ですが、フィクションとドキュメンタリーというジャンルをまたいだ作品を発表しながら、同じ「記憶」をテーマとした作品に仕上がっている点は特筆に値する。

そもそも製作サイドは集客が見込めるものを作るのだとは思いますが、昨今の日本では、甘ったるいヒューマニズムで観る者の思考を停止させるような右翼映画ばかり公開されて、観る人は不服を感じないのだろうか。


ザ・コーポレーション

ザ・コーポレーションザ・コーポレーション
The Corporation
2004年/カナダ/145分
製作・監督:マーク・アクバー、ジェニファー・アボット
原作・脚本:ジョエル・ベイカン
音楽:レナード・J・ボール
出演:マイケル・ムーア、ノーム・チョムスキー、ナオミ・クライン、ジェーン・エイカー、レイ・アンダーソン、他
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「現代社会をどう生き抜くか?」というようなキャッチの「ナイキ」など大手企業を批判したアメリカンドキュメンタリー。

日本の番組や低予算記録映画などとは異なり、「これでもか」くらい取材をおかない、ふんだんに著作権料を支払って過去の偉大な映像を使用した、贅沢なドキュメンタリー。

実際に作るとなると、取材拒否や映像使用料などが問題で端折っていくうちに、作品自体がチープになってしまう作品が多いなか、大健闘した作品だと思う。

少しは関わりはもっているが、個人的には馴染みの薄い「経済モノ」ですが、ブラックなユーモアと速い展開、莫大な情報量に飽きる暇がなかった。

ただ、「これだけ大風呂敷を広げてしまって、どうオチをつけるつもりなのだろう」と観てる最中に気になりましたが、結論がどうこう、というより、「発信すること自体に意義がある」的な雰囲気が感じられ、残念なところもあった。

「マル投げ的な問いかけ」って、一見、問う=批判しているように見えるが、ただ、収拾がつかなくなって安易に責任逃れをしているだけ、のようにも思う。自分の落ち度を認めたくないがゆえに相手の責任に転換してしまっているような。

いずれにしても、オーバーアクションおのアメリカ人って良くも悪くも滑稽です。「そこが面白い」といえばそうなのではあるのですが。

二重被爆

二重被爆二重被爆
2006年/日本/60分
監督・編集:青木亮
プロデューサー:稲塚秀孝
撮影:三浦貴広
出演:山口彊、佐藤邦義、岩永章、松平和夫、浦頭和子、荒木良子、賀谷美佐子、故 山本芳子、他

大学時代の「腐れ縁の友人が監督をした」との知らせを聞いて、ちゃんと8月6日に浜離宮朝日ホールへ足を運ぶ。

作品は60分程でしたが、「原爆」という扱う題材のスケールが大きいわりに、作品全体を貫くテーマがぶれている、ところと、マイルドといえばそうだがメッセージ性に欠けているところが気になった。

映画のテーマが「二重被爆者」についてなのか「二回投爆」についてなのか「原爆の非人道性」についてなのかハッキリしない。難しいとは思うが、尺が60分ならばなおさら絞ったほうが良いのでは。

作る段階で方向性は決まっているはずだし、「二重被爆」についての映画ならば、後半の原爆でお妹さんと娘さん?を亡くしたことを、その簪でみつけた方のエピソードはこの作品が「原爆」についての話しならば必用だが、「二重被爆」についての作品ならばカットすべきシーンだ。論旨が通っていないと、扇情的に同情を引こうとしているだけの予定調和な作品になってしまう。

個人的には「被害者」=「二重被爆者」を切り口にするよりは、「二回投爆」何故アメリカは広島と長崎それぞれに原爆を投下したのか、を中心に据えた方が靖国参拝問題などを含めた、現在のアクチュアルな戦後問題などについて、建設的な意見の展開が可能となり、この作品を広く伝える必然性も高まるように思う。

「二重被爆者」の人物で押してくと、その事実をもとに原爆を考え直す契機にはなるかもしれないが、それで一見映画として成立していそうな作品にはなるが、フィクション戦争映画ならば「ハンバーガー・ヒル」のように「お国のために戦ってくれてありがとう」的に「2回も被爆にあうなんてかわいそう」「おきのどくに」で終わってしまうように思う。

この映画は、「二重に被爆を受けてもなお生きている人がいる。しかもその人は90歳になってもご存命だ。」というだけの論旨では、今、映画化する意義や、「原爆」というテーマがもつ議論の可能性を考えるともったいない選択だ。チラシの裏に書いてある「アメリカが二回投爆したこと」にたいする作り手の問題提起も、出演者の証言が少しあるだけで、作り手の意図、言わないならば言わない意図、がほとんど感じられない。

取材者に慰安を与えるような作品は過去60数年の間にさんざん作られたいたと思うので、今、このテーマを映画にするのならば、その必然性が感じられる作品にして欲しかった。


また、それとは別に、この作品を観て「映画」と「番組」の違いも考えた。

番組は、例えばNHKにはNHKの都合があるだろうし、それに合わせるのが必然となるが、映画ならば、その制約はないなず。製作者のメッセージ性が高い作品を作りやすい状況になる。

取材先のソースから得た情報のみを提示するのは一見「好印象」なような気がするが、その対象は恣意的なものであるので、それを解かっていてやらないのならば納得できるが、どうも並びがいいように整えてあるだけのような印象をもってしまうところに、この作品の不満点があるように思う。などなど。


と、さんざん文句を挙げてしまったが。幸か不幸かこの作品の尺は60分。

一般の映画にくらべて気軽に見やすい長さであるのと、大学などであれば、ひとコマ90分なので作品を見終えても30分議論の時間がとれてちょうど良いと思う。

それに、この作品は上記の理由で、潜在的に引っ張り出せる議論には事欠かなくあるので、識のある人が、広島と長崎に使われた原爆の種類が違うことから導き出せる、アメリカの人体実験の話、など「補足」を加えていけば「二重被爆」についての見識のない若い人たが、この作品を観る価値は高まるはずだ。

季節映画以上の作品になることを期待する。
監督まだ若いわけだしね。

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「映画喫茶」は自主映画監督、酒井啓が鑑賞した映画や小説などについて綴ったデータベースです。プロフィールなどの詳細は下記公式サイトへどうぞ。

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