軽蔑(デジタルニューマスター版) Le Mepris 1963年/フランス・イタリア・アメリカ/102分 監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール 原作:アルベルト・モラヴィア 撮影:ラウル・クタール 出演:ミシェル・ピッコリ、ブリジット・バルドー、ジャック・パランス、フリッツ・ラング、他 Amazonで詳しく見る |
DVDの特典映像を見ると、1962年頃で100万ドルというゴダールの映画では大きな予算を投入して製作された映画のよう。今のレートでは1億円強だと思いますが、当時では多く3憶くらいということか? この金額はそんなに大規模なのだろうか。
この前観た「パッション」と比べるならば、「パッション」では製作費がないから撮影を続行できない、というような状態も語られていましたが、「軽蔑」では「お金を出した製作者が内容に注文をつける」状態が語られている。
製作年をくらべても、「勝手にしやがれ」以降、比較的お金はあつめられてはいたが、製作者との対立はあった、という状況から、非商業映画を経験してお金そのものを集めることが困難になってしまった状況がうかがい知れる。
製作者との対立から、接触すること事態が困難になってしまったようだ。作中でも「軽蔑」ではジャック・パランス演じる製作者が本編に登場しているが、「パッション」では、確か、資金調達を断られた、という電話や伝聞の形で表現されていた。
それはそうと、こういう、ブリジット・バルドーが意味もなく裸で寝ていたり、物語というかプロットはある程度はっきりたもっていて、かつ、ノイジーなやりとりやカットも含まれているような、ある意味いろいろバランスがとれているようなゴダール映画を好む人ももちろんいるとは思うが、個人的にはどこをとっても中途半端、というか歯切れがよくないような印象も持ってしまう。プロット的にもネチネチとした葛藤は好みではない。
ゴダールが体裁を取り繕う姿はあまり似合わない。ゴダールは突っ走っている時の方が、持ち味を発揮できているような気もする。ただそうすると、興行成績に現れるように、それに共感する人はほとんどいないので資金調達など、映画を成立させるための要素が欠けてしまうのはある意味悲劇だ。現実はそういうものなのだろうが。