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パッション

パッションパッション
Passion
1982年/スイス・フランス/88分
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
出演:イザベル・ユペール 、ハンナ・シグラ 、イエジー・ラジヴィオヴィッチ 、ミリアム・ルーセル 、ミシェル・ピッコリ、他
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「勝手に逃げろ/人生」に続く、80年代ゴダールの商業映画復帰第2作目といわれる作品。

個人的には最近は「8人の女たち」などで活躍しているうら若きイザベル・ユペールが初々しい演技を披露しているところで単純に心奪われてしまいました。

作品には明確なストーリーはなく、一連のゴダール作品にみられるような、「答え」の用意されていない抽象的な「問い」が起てられるが、特にチラシやパッケージに使われているカットに代表されるような、絵画的な美しさのある画が積み上げられているので、それだけでつい見続けてしまう。

この作品、いろんな解釈は可能だと思うのですが、能動的に感じるところがあれば、観る価値があったのだと思います。


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コメント (3)

ありがとうございます。

ゴダール自身への興味というのは、わかります。
自分はゴダールについては知らないことのほうが多く、
ほかのひとの話題にのぼるゴダールのほうに魅力を感じているほどなので、
意味がことなるでしょうけれども。

ちょっとわからない部分もあったのですが、
たとえば、
>「何か感じるところ」は作品を観ていて自分の中に生まれた(気づいた)意識だと思います。観たことによって自分の頭で考えたこと全て。
では、管理人さんの「何かは」なんだろうかな、と思いました。
元の記事の
>この作品、いろんな解釈は可能だと思うのですが、何か感じるところがあれば、観る価値があったのだと思います。
は、どの映画の感想にもそう書けるじゃないですか。
でも「なにか」は映画によって別々です。
「なにか」を知りたいと思いますよね。

んー、でも、なんだか、くだを巻いているみたいですねー( ̄ー ̄;)ゞ
ごめんなさい。


まだ観ていないゴダール作品をみるとき、またみなおすときは、
そういえばこういうこといってたなと思いだして観ることにします。
やっぱり他のひとの意見があると、視野が広がります。

管理人:

しまくまさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。

さて、「ゴダール映画の楽しさ」についてですが、自分の場合は「個別の作品というよりゴダール自身に興味をもっている」というところに拠るのが大きいかと思います。彼の作品の刺激的なところは、「映画とは何か?」という問いを50年以上にわたって発し続けていること、や、矛盾を恐れずに無理難題に挑む姿勢、などだと思います。それらによってなのかわかりませんが、浄化作用がもたらされる、というか妙に勇気が沸いてきてしまいます。「初心に立ち返る」ような新鮮味に近いです。

例えば『パッション』ならば、「労働者階級のための映画を!」と意気込んでいながら、実際に完成した映画はそのような人々が観れる作品に仕上がっていないことなど。映画のなかでの映画監督が、たびたび「光がみつからないので撮影を翌日に」するところなどは滑稽にすらなるように思います。

他にゴダール映画で良かったところでは、『彼女について知っている2、3の事実』でミルクが渦巻くコーヒーカップを真上から撮ったショット、でのダイアローグ(たしかディープなコトでしたが内容は忘れてしまいました)などで「そうだよねー」と共感してしまうところがあって、自分の日常生活の中で、あってないようなところをピンポイントで刺激されたような感じで顕在化できるのは新鮮です。自由というか、他の映画ではなかなか味わえない開放感を感じる、散文的・ポエティカルな部分は彼の映画の好きなところの一つです。

プロットが不明瞭なゴダール作品に多く感じるのですが、宙ぶらりんな感覚、何かに対する欲望があったならば、例えば、映画についての欲望ならば、映画を作る過程を撮る。主体と対象の中間を描いていて、意思は感じるけれどとっても現時点ではなんともいえない、宙吊りの状態のなかで批判や問いを繰り返しているように思います。ゴダールは、その状態とプロットを融合させたいように見られるのですが、自分が映画を作る時にプロットはとても邪魔、不自由に思う、と同時にそれなしではいられない、ような矛盾を考えたりはします。

蓮見先生の「映像はきれいだった」というのは、僕にとっては誰の映画とは言いませんが「ステレオタイプ」的に「きれい」ということだと思います。自分の傾向ですが、例えばパラジャーノフの「ざくろの色」のように圧倒的な画力がユニークな作家にはつい魅力を感じてしまいます。

ゴダール作品では「勝手に逃げろ/人生」がお気に入りです。不可解でほとんど何も「理解」はできないのですが、正体のわからない快楽を感じてしまいます。

・「イザベル・ユペールが初々しい演技を披露しているところ」は今や大女優の風格のある彼女の若かりし姿のことです。「バルスーズ」にもちょっと出ていたようですが、「中国女」に主演していたとは知りませんでした。ゴダールが見いだした女優だったということか。
・「いろんな解釈」は結果的に、評論家など、ゴダールに詳しい方々などが言っていること、だと思います。
・「何か感じるところ」は作品を観ていて自分の中に生まれた(気づいた)意識だと思います。観たことによって自分の頭で考えたこと全て。


文章破綻の感ありですが、答えになっているでしょうか?

こんにちは。

ゴダールですけれども、たのしさはどこに感じられますか?
自らのたのしみと、おすすめのたのしみがあれば、教えていただけないでしょうか?

ゴダールについていうひとは、ソーカル事件のテキストのような感じで書くのでわかりづらいです。
わかりやすいガイドがあってもいいはずですよね。

(ソーカル事件というのは、他分野の流行の先端のそれっぽい専門用語と引用をちりばめててきとうにつくりあげた論文を、ポストモダンの哲学・社会学の権威ある専門誌に投稿したら難なく掲載されてしまったというイタズラです。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Sokal/index-j.html)


自分は「軽蔑」は好きでトップ10をつくるとしたら必ず加えたい映画のひとつにしたいほどなんですが、ゴダールのほかの映画はなんか退屈に思えます。
部分部分の映像はいいのですが、ゴダール評論家の第一人者でもある蓮見重彦さんは「映画にとって『映像はきれいだった』というのは最悪の罵倒であり、『他に誉めるものが何もない』という意味なのです」と学生を諫めたそうですから、それをもって、いい映画といってはいけないのでしょう。
http://cruel.org/other/rumors.html#item2006041801


また、できれば管理人さんが「パッション」を評価されている、
>イザベル・ユペールが初々しい演技を披露しているところ

>「答え」の用意されていない抽象的な「問い」

>いろんな解釈

>何か感じるところ
についてすこしでも具体的に語っていただけるとうれしいです。

もちろん、観るひとそれぞれが個々のおかれた状況に応じて、「問い」や「解釈」や「なにかを感じる」べきであることはたしかで、それは前提にします。

管理人さんにとっての『それ』が語られれば、ゴダールの映画についてだけではなく、表現者でもある管理人さんの内面についても語られるので、悪いことではないはずです。
(めんどくさいことではありますが)。

お時間できましたときにでもおねがいいたします。

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2006年05月02日 01:56
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